6月7日は、歴史に残る大きな出来事がいくつもあった日です。
日本では戦争の転機となった「ミッドウェー海戦」や、
相撲界の伝説「千代の富士」の昇進などがありました。
世界では、バチカン市国の独立や、
ガンジーの公民権運動のきっかけとなった日としても知られています。
また、この日に生まれた有名人も多く、
芸能界・スポーツ界・音楽界などで活躍する人物が勢ぞろい。
この記事では
、6月7日の出来事や誕生日の有名人をわかりやすくまとめています。
「今日はどんな日?」と気になった方は、
ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
6月7日の日本の出来事
- 1942年:
ミッドウェー海戦が終結。
日本海軍がアメリカ軍に大敗し、太平洋戦争の転機となる。 - 1965年:
新幹線「ひかり」が博多駅まで試運転を開始。
東京~博多間の高速移動が現実に近づく。 - 1981年:
千代の富士が第58代横綱に昇進。
小兵ながら圧倒的な強さで人気を集める。1992年:
「てりやきマックバーガー」がマクドナルドで全国販売開始。
日本発の人気メニューに。 - 2018年:
和歌山県の資産家・野崎幸助氏の不審死が報道され、
「紀州のドン・ファン事件」として話題に。
6月7日の世界の出来事
- 1494年:
スペインとポルトガルが「トルデシリャス条約」に調印。
新大陸の分割を定め、世界の植民地化が進展。 - 1893年:
マハトマ・ガンジーが南アフリカで列車から差別的に降ろされ、
公民権運動のきっかけとなる。1929年:
バチカン市国が独立国家として成立。
ラテラノ条約による歴史的転換点。 - 1981年:
イスラエル空軍がイラクの原子炉「オシラク」を空爆し、
核兵器開発を阻止。 - 2001年:
イギリスで総選挙が行われ、トニー・ブレア首相が再選。
労働党政権が継続される。6月7日が誕生日の有名人10人
- 大の里 泰輝(2000年生まれ):
史上最速で横綱に昇進した新時代の大相撲力士。 - プリンス(1958年生まれ):
アメリカの伝説的ミュージシャン。 - リーアム・ニーソン(1952年):
映画『96時間』などで知られるアイルランド出身の俳優。 - アレン・アイバーソン(1975年):
NBAで活躍したバスケットボール界のスター。 - 岩城滉一(1951年):
日本の俳優、元レーサーとしても知られる。 - 西野七瀬(1994年):
元乃木坂46メンバーで、女優やモデルとして活躍中。 - 藤田ニコル(1998年):
ファッションモデル・タレントとして若年層に人気。 - 野口英世(1876年 ※旧暦6月7日):
黄熱病研究などで世界的に名を馳せた細菌学者。 - トム・ジョーンズ(1940年):
イギリスのシンガーで、「Sex Bomb」などがヒット。 - 小林亜星(1932年):
作曲家・俳優。「にんげんっていいな」「日立の樹」など名曲多数。
- 大の里 泰輝(2000年生まれ):
錚々たる顔ぶれの中から、
今回は心に残る数々の名曲を作曲された
小林亞聖さんに焦点を当ててみたいと思います。
小林亜星の代表曲が、
日本の音風景や文化にどれほど深く刻まれているか、
ご存じですか?
この記事では、
「この木なんの木」「どこまでも行こう」
などの名曲をはじめ、アニメや童謡、演歌に至るまで、
多彩なジャンルで活躍した小林亜星の楽曲とその文化的影響を詳しく紹介します。
子ども時代の思い出、家族団らんのテレビCM、街中に流れていたメロディ──
彼の音楽は、まさに私たちの生活と記憶そのものでした。
この記事を読めば、
小林亜星の音楽が「ただのBGM」ではなく、
「世代を超えて愛される文化的遺産」である理由が見えてきますよ。
ぜひ最後まで読んで、
あの懐かしいメロディに、
もう一度心を寄せてみてください。
小林亜星の代表曲から見える日本の音楽的記憶
小林亜星の代表曲から見える日本の音楽的記憶についてご紹介します。
- CMソングが記憶に残る理由
- 「この木なんの木」に象徴される国民的楽曲
- アニソン・童謡が育んだ共通体験
- 多彩なジャンルを横断する表現力
それでは、1つずつ見ていきましょう。
①CMソングが記憶に残る理由
小林亜星といえば、やっぱり印象的なのは「CM
ソング」なんですよね。
昭和の時代を生きてきた人にとって、
の音楽はテレビから毎日のように流れていた「日常の音」でした。
「この木なんの木」や「チェルシーの唄」など、
一度耳にしたら離れないキャッチーなメロディは、
商品の記憶とセットになって、頭の中に強烈に残ります。
しかも、ただ耳に残るだけじゃないのが小林亜星のすごいところ。
メロディ自体に温かみや人間味があって、
自然と口ずさみたくなるんですよ。
「ああ、これ聞いたらあの時代を思い出すなぁ」って、
感情まで引き出してくれる。まさに“記憶を喚起する音楽”です。
②「この木なんの木」に象徴される国民的楽曲
「この木なんの木、気になる木〜♪」のフレーズ、
今でも歌えますよね?
この曲が流れたら、
誰でも「あ、日立のCMだ」と思い出せるレベル。
もはや企業ソングの枠を超えて、
文化そのものになっています。
実際、曲のモデルになったハワイのモンキーポッドは観光名所になっていて、
「CMで見たあの木を見たい!」という人が今も訪れているんですよ。
こんなふうに、音楽が地理や風景、
さらには人生の記憶と結びつくって、本当にすごいことですよね。
小林亜星のメロディは、
単なる音じゃなくて「記憶のトリガー」なんです。
③アニソン・童謡が育んだ共通体験
CMだけじゃないんです。小林亜星はアニメや童謡の分野でも超一流。
「ガッチャマンの歌」や「魔法使いサリー」、「ピンポンパン体操」なんかは、
まさに子ども時代の“音の風景”ですよね。
「ピンポンパン体操」は流行語にもなったし、
ザ・ドリフターズがカバーしたっていうのもびっくりポイント。
こういった楽曲がテレビとともに全国に届けられ、
同じ世代の人たちが一緒に歌って育った
──そういう共通体験を作ったのが小林亜星の功績なんです。
ただの子ども向けソングじゃなく、
を超えて共有される“文化の一部”になっているのが本当にすごいですよね。
④多彩なジャンルを横断する表現力
小林亜星のもう一つの魅力は、
「どんなジャンルでも、その世界に合った最高の音楽を作れる」ということ。
CMソングからアニソン、童謡、歌謡曲、演歌まで、
の壁を軽々と飛び越えて、いつでも“その場に必要な音”を作れるセンス。
これは、彼がクラシックからジャズまで幅広く学び、
何より「音楽が好き」という気持ちを大事にしてきたからこそなんでしょうね。
小林亜星の音楽には「こうじゃなきゃいけない」っていう堅苦しさがまったくなくて、
自由で、伸びやかで、なのに耳に残る。
ジャンルを超えて“心に響く音”を生み出すその才能、
まさに音楽家の理想だと思いますよ。
小林亜星のCMソング代表作7選とその文化的影響
小林亜星のCMソング代表作7選とその文化的影響について紹介します。
それでは、それぞれの名曲を見ていきましょう!
①ワンサカ娘(レナウン)
「ワンサカワンサカ ワンサカ娘~♪」のフレーズ、
耳に残りますよね!
これは1961年、
小林亜星が初めて手がけたCMソングであり、まさに出世作。
当時の日本は高度経済成長期に突入し、
テレビCMがどんどん浸透していく時代でした。
そんな時代背景の中、
この「ワンサカ娘」は商品の宣伝を超えて、
流行歌のように街角で自然と歌われる存在に。
しかも、ただ楽しいだけじゃないんです。
軽快なメロディの中に、
時代の躍動感や現代女性の自立心なんかも垣間見えるような、
絶妙なバランスの曲なんですよ~。
②どこまでも行こう(ブリヂストン)
「どこまでも~行こう~」のあの希望に満ちたメロディ、
聴いた瞬間に元気をもらえますよね。
この曲は、CMソングとしては異例の国民的愛唱歌になりました。
なんと、小学校の音楽教科書にも載ったことがあるんです!
ブリヂストンのタイヤのCM曲として作られたんですが、
そのシンプルで真っ直ぐな歌詞と、普遍的なメロディが多くの人の心を打ちました。
まさに“商品を超えた音楽”の好例ですね。
③明治チェルシーの唄(明治)
「あなたにもチェルシー、あげたい〜♪」って、
今でも歌えちゃう人多いですよね。
1971年に発表されて以来、
50年以上も歌い継がれているこの曲。
しかも歌ったのは、シモンズだけでなく、
ガロ、南沙織、八神純子、PUFFY、CHEMISTRYなど、そうそうたるアーティストたち!
最近では、チェルシーの販売終了がニュースになった際、
この歌がまた話題になりました。
つまり、このメロディが商品以上に人々の記憶に刻まれてたってことなんですよね。
④日立の樹(この木なんの木)
国民的CMソングといえば、やっぱりこれ。
「この木なんの木、気になる木~♪」のフレーズは、
まさに世代を超えて愛されてる曲です。
モデルになったハワイのモンキーポッドの木は、
今や観光スポットになっちゃってるんですから、音楽の力ってすごいですよね。
しかも1970年代から現在まで、
CMはリニューアルされながらも、
このメロディだけはずっと使われ続けています。
この“変わらないメロディ”がブランドの信頼性や安心感につながっているんでしょうね。
⑤サントリー・オールド「人間みな兄弟」
この曲、聴いたことがなくても
「恋は遠い日の花火ではない」っていう名フレーズは知ってる人、
多いんじゃないでしょうか?
サントリーの名作CMのひとつで、
まるで詩のような歌詞と、
哀愁漂うメロディが絶妙にマッチしている一曲。
なんと、
小林亜星は若い頃サントリーの入社試験に落ちたことがあるんですよ。
その後、この曲がCMで大評判になったとき、
「俺を入れてたら、この曲タダだったのに」
と冗談交じりに言ったという逸話も。
自信とユーモアがある素敵なエピソードですね~。
⑥積水ハウスの唄
この曲もスゴイ。1970年に誕生して以来、
積水ハウスのCMでは一貫してこのメロディが使われています。
たとえ歌手やアレンジが時代によって変わっても、
あのやさしいメロディは不変。
ブランドの“お家の安心感”というイメージを見事に表現していて、
企業にとってはまさに音の資産ですね。
小林亜星が生み出すメロディは、
こうやって長期的に使われる力を持っているんです。
まさに「音で築くブランド力」ってやつです。
⑦酒は大関こころいき
最後に紹介するのは、
加藤登紀子さんが歌う「酒は大関こころいき」。
この曲はCMソングなのに、
まるで演歌や歌謡曲のような情緒がありますよね。
優しくてあたたかくて、
ほんのり哀愁があって、
お酒と人生の味わいがしっかり伝わってくる曲。
CMソングとしては異例の“音楽性の高さ”を持った作品で、
今でも名曲として語り継がれています。
こういう楽曲を作れる小林亜星って、
やっぱりただの作曲家じゃないんですよ。
小林亜星CMソング・アンソロジー – オムニバス
子どもたちに愛された小林亜星の童謡・アニメ主題歌
子どもたちに愛された小林亜星の童謡・アニメ主題歌を紹介していきます。
- ピンポンパン体操
- あわてんぼうのサンタクロース
- ガッチャマンの歌・魔法使いサリー
- ユカイツーカイ怪物くん・花の子ルンルン
次は子どもたちの記憶に刻まれた名曲たちをご紹介していきますね。
①ピンポンパン体操
1970年代に子どもだった人なら、絶対に耳にしたことがあるこの曲。
「ガンバラナクッチャ~!」のフレーズが特徴的で、
当時の子どもたちの流行語にもなりました。
この「ピンポンパン体操」は、
フジテレビの人気番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』で流れ、
の子どもたちに愛された体操ソングなんです。
なんと、レコード大賞の童謡賞も受賞した本格派!
しかも、ザ・ドリフターズがカバーするほどの人気ぶり。
もう、子ども向けという枠を完全に超えてましたね~。
②あわてんぼうのサンタクロース
クリスマスが近づくと必ず耳にするこの歌。
「あわてんぼうのサンタクロース~♪」という陽気なメロディは、
日本のクリスマス文化の一部といってもいいほどの定番ソングになっています。
誰もが知っていて、保育園や小学校でも大合唱されるこの曲。
実は作曲が小林亜星だったって、
意外と知られていないんですよね。
でもそのメロディの覚えやすさ、あたたかみ、子どもでも楽しく歌える明るさ──
すべてが彼のセンスを物語っています。
シーズンソングなのに、1年中親しまれているのがすごいところです。
③ガッチャマンの歌・魔法使いサリー
アニメ好きなら絶対に外せないのが、この2曲!
『科学忍者隊ガッチャマン』のオープニング
「誰だ!誰だ!誰だ〜!」は、
もう完全にアニソンの金字塔ですよね。
力強いイントロと疾走感あるメロディは、
当時の少年たちに「正義ってカッコいい!」
と思わせるには十分なインパクトでした。
一方、『魔法使いサリー』は、
日本の“魔女っ子アニメ”の元祖。
あの不思議で可愛らしいメロディが、
女の子たちの変身願望を見事にくすぐったんですよ~。
どちらも、作品の世界観とピタッとはまった名曲で、
主題歌が作品の魅力を何倍にもしていました。
④ユカイツーカイ怪物くん・花の子ルンルン
「ユカイ ツーカイ 怪物くん~♪」も、めっちゃ元気が出る一曲!
この曲も小林亜星の手によるものなんですが、
どこかコミカルで、でもクセになるメロディが特徴的ですよね。
ちょっとおっちょこちょいな怪物くんのキャラにぴったりで、
まさに“音でキャラクターを演出する”力が炸裂してます。
そして『花の子ルンルン』は、少女向けアニメの定番。
世界を旅するルンルンの冒険心と優しさがメロディからにじみ出ていて、
こちらも作品との親和性が抜群です。
こういう子ども向け楽曲で、
小林亜星はメロディだけで“物語”を語れる作曲家だったことがよく分かりますよね。
歌謡曲・演歌における小林亜星の代表曲と逸話
歌謡曲・演歌における小林亜星の代表曲と逸話を掘り下げていきます。
- 北の宿から(都はるみ)
- 京の手まり唄・美空ひばり
- 異色コラボ:俳優やお笑い芸人への楽曲提供
- 楽曲が人の人生に与えた影響
CMや童謡だけじゃない、小林亜星のもうひとつの顔──それが“歌謡界の名職人”です。
①北の宿から(都はるみ)
まずは外せない一曲、「北の宿から」。
1976年、日本レコード大賞を受賞したこの曲は、
都はるみの代表曲であり、小林亜星の演歌界での大成功例です。
当時、記録的ヒットだった「およげ!たいやきくん」を抑えての受賞は、
まさに音楽界の伝説。
ただ売れた曲ではなく、“格”と“情感”が評価されたという証でもあります。
さらに、この曲を帰国後に歌った拉致被害者の妻・富貴恵さんのエピソードは、
多くの人の心に残りました。
音楽が人生の節目に寄り添う、その力を見せつけられた一曲ですね。
②京の手まり唄・赤い風船
小林亜星は、美空ひばりにも楽曲を提供してるんです。
「京の手まり唄」は、しっとりとした和の情緒が感じられる一曲で、
美空ひばりの艶やかな歌声にぴったり。
また、「赤い風船」は加藤登紀子の代表曲のひとつで、
叙情的で詩的な世界観が印象的。
この曲を聴くだけで、どこか遠くに行きたくなるような、
切なさと旅情が胸に広がります。
小林亜星の作曲は、ただメロディを作るだけじゃなく、
歌手の個性や感情までも楽曲に溶け込ませる力があるんですよね。
③異色コラボ:俳優やお笑い芸人への楽曲提供
普通なら驚くような人たちにも楽曲を提供していたのが、小林亜星の面白さ!
たとえば、左とん平の「秋田から来た先生」や、
泉ピン子の「哀恋蝶」など、ユニークな楽曲も多数。
アントニオ古賀の「十円チョーダイ!」や、
松坂慶子の「赤い靴はいてた淫らな娘」など、
タイトルからしてインパクト大の曲もあります(笑)
俳優や女優の“キャラ”や“声質”に合わせて、
ぴったりの世界観を作り上げてしまうんだから、本当に天才としか言いようがないです。
ただの作曲家じゃなくて、
まるで“演出家”のような存在だったんですね。
④楽曲が人の人生に与えた影響
「歌って、こんなにも人の心に寄り添えるんだな」
と思わせてくれるのが、小林亜星の音楽です。
たとえば「北の宿から」を聞いた人が、
失恋から立ち直るきっかけになったり。
テレビで「ピンポンパン体操」を聞いて育った子どもが、
士になって自分の教室でも歌い継いだり。
そんな“人生とともにある音楽”を、
はずっと作り続けてきたんですよね。
メロディが記憶に刻まれて、
その人の人生の一部になる──これって、ほんとに尊いことだと思います。
小林亜星の作曲スタイルと哲学に迫る
小林亜星の作曲スタイルと哲学に迫っていきます。
- 作らずに「湧く」メロディ
- 直感と本能で書き上げるスピード感
- ジャンルを超えて「伝わる曲」を生む秘訣
- 文化的インフラとしての作曲家という存在
メロディの魔法、その源を探る時間です。
①作らずに「湧く」メロディ
「作ったものはダメ。作らなくても自然に湧いてくる音楽、
それが湧くまで待たなくちゃいけない」
これ、小林亜星がよく口にしていた言葉です。
多くの作曲家が、
机に向かって構成を練ったり試行錯誤する中、
彼は“湧いてくる”のを待つスタイル。
まるで泉のように、
自分の中から自然に流れてくるメロディを大切にしていました。
この考え方、すごくシンプルだけど、とても深いんです。
②直感と本能で書き上げるスピード感
小林亜星は
、一度「湧いた」と思ったら、そこからのスピードがすごかった。
だいたい1曲あたり、
30分〜1時間で書き上げていたんだとか。
もう感覚で一気に書き上げちゃうんですね。
しかも、夢の中で曲ができることもあったらしく、
朝起きてすぐにメモすることもあったそうです。
そんな“ひらめき型”なのに、
あれだけ耳に残るメロディが量産できるなんて、本当に天才です…!
③ジャンルを超えて「伝わる曲」を生む秘訣
CM、アニメ、童謡、演歌…とにかく幅広いジャンルで活躍した小林亜星。
でも、彼の音楽にはジャンルの“壁”がないんです。
子ども向けでも、お年寄りでも、
聴けば自然に「いい曲だなぁ」って感じられる普遍性がある。
それはたぶん、彼が「誰にでも伝わるメロディ」をいつも意識していたから。
技巧じゃなく、感情に響く音。それこそが亜星サウンドの真骨頂です。
④文化的インフラとしての作曲家という存在
彼の音楽って、もう“文化の一部”なんですよね。
例えば「この木なんの木」は観光名所に、
「明治チェルシーの唄」は製品が終売になった時に大きな話題に。
曲が人々の生活や記憶と結びついて、社会の記憶装置として働いている。
CMソングなのに国民の記憶に残り続ける──それって、もう音楽が文化的インフラになってる証拠ですよ。
小林亜星は、音楽を使って“日本の心”を設計してきた、まさに「音の建築家」なんだと思います。
まとめ|小林亜星の代表曲からたどる日本音楽文化の記憶
代表的なCMソング |
---|
ワンサカ娘(レナウン) |
どこまでも行こう(ブリヂストン) |
明治チェルシーの唄(明治) |
日立の樹(この木なんの木) |
サントリー・オールド「人間みな兄弟」 |
積水ハウスの唄 |
酒は大関こころいき |
小林亜星の代表曲たちは、
テレビや街角、学校や家庭など、
あらゆる場所に染み込むように流れ、
の感性や感情に深く根ざしてきました。
単なる商品宣伝の音楽ではなく、
時には人生の応援歌として、
時には家族の思い出を彩る旋律として、
人々の記憶に刻まれています。
「この木なんの木」が観光名所となり、
「チェルシーの唄」が製品終了時に話題になるように、
彼の音楽は今も社会の中で生き続けているのです。
そしてその背景には、
小林亜星の「湧いてくる音楽を大事にする」
という独自の作曲哲学があります。
その直感的で人間味あふれるスタイルが、
多くの名曲を生み、
日本の“音の文化財”を築き上げてきました。
小林亜星の音楽をあらためて聴き直すことで、
私たちはきっと、懐かしさとともに
「自分の中の日本」を再発見できるはずです。
彼のメロディは、
これからも時代や世代を超えて、
永く人々の心をつなぐ架け橋となっていくでしょう。
コメント